2013年06月08日

神我という存在

子ども達の不思議な絡み合いは しばらくおいておき、キリスト意識との出会いからお話します。

前回お話しましたように 私は 宗教者ではなく 宗教的生き方は ほとんどしていません。
ほとんど というのは お墓参りに行ったり 実家に帰った時は 父の遺影を眺めながら、
仏壇に 手を合わせたりはするからです。

特別に どの宗教を持つということはしていませんが、仏教にしろ キリスト教にしろ 人間に
とって大切なことを 伝えていることはあると思っています。

その私が キリスト意識というものの存在を知ったのは 6月19日からしばらく後です。
毎日起こる非科学的現象 どんどん心に飛び込んでくる啓示 毎日起こったことを コピー用紙
に書いていき 腕は筋肉痛。体中の興奮状態が収まらず 苦痛との戦い。

そんなある日 ふらふらしながら トイレから出た時です。
トイレのドアと 向かいあった廊下の突き当たりのドアに まばゆいものが光っています。
それは 本来無いものが映っているのではなく 後ろから射す光に包まれるように
私の影が映っているのです。

その影の周りには 朝日新聞の朝日のマークのような放射線状の光が 眩しいくらいに
光っています。それを見て 足が止まります。

---うわぁー 後光のようだー。まるで 神様がいるようだ---
神様はどこ?
ふと周りを探そうと 動いた時 その影も動きました。
---あーー私の中にいるんだ!---
そう思った時 私の心の中の映像に まるですぐそこにいるかのように
イエス・キリストの姿が はっきりと見えました。

髪の毛の やわらかい質感も 優しい肌も 触れそうなくらいです。

全身鳥肌が立ちました。
---うわぁーー 神様って 本当にいたんだ!---

それからイエスは何度も 現れます。
現れては 私と同じポーズをします。
---なんで 真似をするの?---

でも答えてくれません。ただ優しく笑っているだけです。

しかしその意味は 徐々にわかっていきました。

彼はこう言ったのです。
「私にできる事は あなたにもできる事なんだよ。」と。

私は 自分が特別なものになったような気持ちで 嬉しくて仕方がありませんでした。
しかし 確かに交信すると言った意味では 特別なものかもしれませんが 理解が深まるにつれて
すべての命あるものには 神我というものが 宿っていて その高次元の魂から アドバイスを
受けたり 助けられていることを知っていきました。

キリスト意識との交信は それから現在までにいたり 私自身 人生を導いてもらっていますが、
人は皆 知識などいったこの世のわずかな情報の 何千倍もの情報を この神我という叡智から
もらうことができるのです。

ですから命は皆 本当は もっともっと 優れたものであり 崇高で素晴らしい存在です。

神や仏というものは 外側に存在するのではなく すべての命の内側に存在するものだったのです。

ただ人には 魂と言う たくさんの過去の人格達と 神我を含んだものが 宿っていますが、
(人だけではありませんが) 同時に 肉体に付随して 今回あたらしく生まれた自我というものが
存在します。自我は 存在が始まったばかりで 魂に比べれば 思考は幼く またマイナス思考を強く
生み出します。自己中心的な思考を強く持ち、不安を持つのも 自我の存在の特徴です。

そのような三位一体の精神構造を教えてくれたのも 魂という存在の中の神我だったのです。

しかしこのような事柄は 今だからこそ 公言ができます。
それまでは 信頼を失うのではないかと とても怖くて 人には話せませんでした。

次回は 子ども達との 不思議な絡み合いのお話に戻ります。




神我という存在


Posted by 愛 みーこ at 09:00│Comments(0)
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